春の経過観察

2019/04/25

治療が1月に終わり、2月に経過観察を迎えました。
日常を取り戻した一方であっという間に時間は過ぎ、
早いもので気がつけば4月も後半、4月どころか平成が終わろうとしています。

3月の頭に定期検診にいき、血液検査をして、
4月の検診にも月初めに行ってきました。
前回の結果を聞き(特に問題なし◡̈)
「変わりはありませんか」
といつもながら聞かれ、
診察は2分で終了。相変わらずスピーディですね。

体調も特に問題なし!
立ち仕事ですが足がむくむこともなし。
体力もほぼ一年前に戻ったのではないかしら?

2月に一度、痛くて転げ回るくらいの腹痛。
(前日にナマモノを食べ過ぎた。早過ぎたパーティ)
痛くて眠れず腸閉塞なんじゃないかと大騒ぎして
病院行ってレントゲンまで撮って、、、
結果的にはただの食あたりだった、ということはありましたが、いつの間にやら以前の生活に戻りつつあります。
今年はなぜか花粉症の症状もありませんでした。
ここ数年は体が弱っていたのか?
しっかり休んだから体調が良くなったのか?
真偽は分かりませんが、マスクなしで春を快適に過ごせたのは大きい。ぜひ来年もこの調子で。

眉毛もまつげもちょっと不安定ながらも戻りつつあるので、残るは髪の毛か。夏くらいには脱ウィッグをするのを目標にして日々を過ごしたいと思います。
(密かに金髪ベリーショートを試すチャンス♡)

治療中の辛いあれこれすらも、普段の生活で思い出すことは少なくなってきました。
嫌なことは忘れるに限りますが、覚えておきたいことでもわたしはすぐに忘れてしまうので、こうやっていつでも読み返せるように文章に残しておいてよかった。
きっとこの先嫌なことがあっても、こんなに頑張ったんだから楽勝だろうよ、と乗り切れそうな気がする。
人間はたくましく生きていけるようになってるんだな。

体が病気だと心は当然元気をなくすんだなあと思います。
逆も然りなのかもしれませんが。去年の6月から今年の1月を振り返ると、普段の自分とは違うようにも思えるし、その実それが本質なのかもしれない、とたまに思い返しています。体と心が健やかでいることはとてもありがたいことなのだなあとつくづく感じます。

あとほんとうに、周りの人たちへの感謝の気持ちというのは生活の中でつい忘れてしまうけれど、たまに思い出していきたい。

病気が分かったのが去年の6月だということを考えると、一年がどれほど短いことかを思い知らされます。
たかが一年、されど一年。
今こうして元気でいられることがとても幸せだと心から思うのです。

行きたいところには足を運んで
聴きたいものには耳をすませて
目にしたいものはしっかり焼きつけて、
美しいものを身に纏って
美味しいものをたくさん作って食べて飲んで、
自分の糧にするんだ!
という相変わらず即物的なわたしの新しい時代への意気込み。



ことしの桜は長く楽しめましたね。

春の訪れと経過観察

2019/02/06


(ナインテイルドフォックスは売り切れで買えなかったのでビールタワーで乾杯!)

抗がん剤治療も予定していた6回を終え、先週仕上げのCT検査を受けてきました。
手術前に検査して以来なので、半年ぶりくらい??

前回CT検査した時は毎日色々な検査が続いていたり、こころはショック状態で自分以外のすべてが勝手に進んでいったため、そんなに色々考える余裕がなかったんですが。
今回はひと味違いましたね。

これで終わりなのか、終わらせてもらえないのか、、、
考え始めると無限ループが止まらなくなるので、
なるべく見ないように、考えないように、この一週間を過ごしてきました。

考えないようにしていても、何か他のことをしていないとすぐに結果のことをあれこれと考えてしまう。
すぐお腹痛くなるし、食欲もないわけではないけれど、眠りも浅く、食も進まない日々を過ごしておりました。

検査の結果を聞く日も、朝から落ち着くわけもなく。
体調自体はいいし、顔色も良くなってきたし、
でも、“絶対大丈夫”なんてものが世の中にはないということは、自分が一番よくわかっている。

願掛けも込めて、足元は華子の幸福ソックス!
お守りに謎のハンカチ、最近贈り物された本、など、いろんな人に勝手に頼りながら笑、病院へと向かいました。

1時間前の採血も済ませ、
勝手に診察の予約が増えていないことを確認し(受付で最初に渡されるカルテに勝手に次の予約が増えていることもあったので、ドキドキしながら受け取りました)いつもの採血の上手な人に当たり、少し安心しつつも、予約の時間まで母とぷらぷらお散歩をしました。(病院でじっと待つのにはとてもじゃないけど耐えられなかった!)

ヒヤヒヤバクバクしながら順番が来るのを待ち、診察室へ。いつもながら表情に出さない先生…読めぬ…

「これ血液検査の結果です。
血液検査の結果も問題ありませんね。
CTの画像にも再発を疑われる所はありません。
ひとまず治療は終わり、経過観察です。
お疲れ様でした。」




わーーーーーん。




ものすごく嬉しかった。

でも負けず嫌いなので先生の前では泣かなかった。
幸せそうな妊婦さんたちの待合室の雰囲気を壊すこともなかった!(急に告知された時は待合室の隅っこで大泣き)
お会計を待ちながらポロポロと涙が流れました。

嬉しいのと、心底ほっとしました。

母よ、今日も病院に付いてきてくれて本当にありがとう。
母以外の家族も、寄り添ってくれて本当にありがとう。
友人たちにも何度も助けられました。
職場の人の理解にも助けられました。

周りに恵まれていることに関しては様々な場面で嬉しい時も悲しい時も、事あるごとに思い知らされました。別に今までもひとりで生きてきたわけではありませんが、もう少し周りに素直に甘えてもいいのかな、と思えるようになれました。

というわけで、(まだまだ寒い日は続くのでしょうが、)
期せずして春の訪れ。

人生の3つの坂。
上り坂、下り坂、まさか。
今後も私の人生にいつなにが起こるのかは分かりませんが、分からないからこそ、大切なものと大切な人を日々慈しみながら、元気に過ごしていきます。


みなさんほんとうにありがとう。


悲しいこと、つらいことが起きても、日常は変わらないものだということを実感した半年でした。
悲しくてもつらくても、誰かとおいしいものを食べよう!
ひとりでぐるぐると絶望の中をさまようのは得意分野だけれど、ひとまず今は考えない、見ないようにする、という得意技も身につけました。
これからも、そんな風に生きていけたらなあ、と思っています。たくましく、しなやかに。

これからも私の人生は続いていくようですし、
経過観察という言葉通り、きちんと検査には通う。
おいしいご飯を作って食べて、
運動もする(なるべく、する気持ちを持つ…)!
みなさんもすこやかな生活を♡

めばえ

2019/01/27

先日すごく久々にレキシのライブに行ってきました。
すごく楽しくて、とにかく楽しくて、笑いすぎてぐったり疲れるくらいに楽しかった!

インフルエンザも流行っている中、今の私の体内状況的には人混み、しかも密室?なんてもってのほか、など、一応考えたんですが、行けるタイミングで行かないなんて勿体なさすぎるので思い切って行きましたが大正解でした。

曲が変わるたび、音が鳴るたびに、生きててよかった、これからもこれを味わうために生きねば!という強い気持ちにさせられました。池ちゃんありがとう!!!!

FUNKY烏龍茶のフレーズや、ちょいちょい小出しに延々と出てくる小ネタや、いとうせいこうの歌うQUEENにぎゃーぎゃー騒ぎつつ(周りの人ごめんなさい、でも本当に楽しかったんだ…)

感極まってしまい、なぜか全然泣くような場面ではないところでひとり泣きました笑。

自分のバンドで演奏した曲だなあ、とその頃のことを思い出し、あの頃の自分と今の自分は全く違う世界にいるような気がしてしまい、変わらない音楽と、変わってしまった自分の世界をふと突きつけられたような気持ちになってしまったのかもしれません。

でもよく考えてみれば、何年も前のまま、環境や自分が変わらないということはありえない話なので、失ったものを嘆くよりも今周りにあるものを大事にするのだということを心に留めておきたいものです。

きらきら武士のミラーボール、とても美しかったなあ。イルカもポンポンできたし、きらきらテープキャノン砲も降ってきて、夢みたいな瞬間がたくさんあったな。

あとやっぱり音楽が好きだなあと思いました。

小さい頃からピアノを弾き、(楽しくなくてすぐにやめた)
小学校で金管クラブに入り、(アルトホルン懐かし)
中学でトランペットを手に入れ、(楽しかった)
高校は吹奏楽がなかったので合唱部に入り、(楽しかった)
大学で軽音!(たいへん楽しみました)

まあ寝ても覚めても割と近くには音楽があったのだなあ。
おかげで運動は苦手ですが、周りに音楽のある環境で育ってこられてよかったなあと思います。

友達と会う時も楽しいし、おいしいご飯も幸せな気持ちにはなるんですが、演奏しているときの高揚だったり、ライブを見ている時の全身で音楽を浴びる、何物にも代えがたい多幸感!は、他のことでは満たせなかったりすることに気がつきました。胸がいっぱいになる。

池ちゃんもハナレグミいとうせいこうも、レキシのステージに立つ人たちはなんて音楽を愛し愛されているんだ!!私も気分にムラはあれど、やっぱり音楽のことは嫌いになることはこの先もずっとないんだろうなー、なんてことを考えていたら、2年ほど放置しているトランペットを久々に吹いてみたくなりました◡̈

病気になって、色んなことを考えた結果、自分の守りたいものは自分で選んで自分で守るしかない!という結論に至りました。仕事は大事にしたい事柄であることに変わりはないのですが、仕事以外のことも大事にしていきたいなと改めて思うようになりました。

行きたいところには行けるし、
会いたい人には会いに行けるし、
やりたいことはなんだってできる!

レキシのライブを見て、
自分もやりたいようにやろう、と思えたのでほんとに行けてよかった◡̈

そしてたくさん笑ったからなのか、、?
レキシ効果なのか?!
まつげが生えてきました。

まだまだ1ミリくらいだけれど。

こうやって、一歩一歩、少しずつ、進みながらまた変化していくのだなあ。まだ点滴してから2週間なので、副作用でまた抜けてしまう可能性も捨てきれない、、、と様子を伺っていましたが、伸びているところを見るとこのまま育ってくれそうです。うれしい。


春だ!


この調子で早くこの世の春が来ればいい。

春に - YouTube

抗がん剤について

2019/01/13

全6回の抗がん剤治療が無事に終了しました。
忘れないうちに、抗がん剤の副作用についてまとめておこうかと思います。

使用する薬剤はTC療法と呼ばれるもの。
パクリタキセルとカルボプラチンの、
二つの薬剤を併用します。
パクリタキセルは、植物の樹皮から作られているらしい。
カルボプラチンは、プラチナ系、アルコールで薬を溶いてあるそうですが、私が酔っぱらうほどではなかった。

10時過ぎから18時過ぎまでがっつり点滴です。
手始めに抗アレルギー薬と、吐き気どめの点滴。
その後、パクリタキセルを3時間、カルボプラチン1時間。
その間(厳密に言うと、前日の17時から丸一日)ずーっと生理食塩水も併用して点滴されます。

余談ですが、点滴のルート確保は若いお医者さまたちがこぞってやってくるのですが、とても痛いです(^^)
皆さま慣れていない中での挑戦なので、仕方がないとは思うんですが、、、とにかく痛かったです。

私の場合、点滴中は薬に対するアレルギー症状もなく、点滴漏れもなく、(劇薬なので漏れると大変みたい。看護師さんは厳重に手袋をして薬剤扱ってました。) 血管痛もなく、抗アレルギー薬のおかげでひたすら眠いものでした。

点滴中、薬のアルコール分もあるからなのか、
体も熱っぽく、ぐっすり。
そのせいで夜はあまり眠れなかったりしたので、こっそり漫画読んだりしてました。

副作用に関して。

吐き気に関しては、吐き気止めの点滴と強めの飲み薬のせいかほとんどなし。でも吐き気止めの薬のせいで胃腸の動きがすこぶる鈍い感覚にはなりました。なんだか居心地が悪くてご飯を食べたくない、ていう日がトータルで2〜3日あったかなあ。

あとはたまに突然お腹が痛くなる、という事案も2回ほど発生。大抵、夜中。あと、寝不足で朝から動いた時が思い当たるくらいかなあ。胃?がギュイギュイと痛くて眠れない。正露丸飲んだら治ったけど。なんだったんだろうか。

味覚障害はなかったです。それはほんとうによかった!
いつも通りおいしいものをおいしく食べました。
食べたくない時は食べなかったですが!
病院のごはん、後半に進むにつれ全然食べたくなくなり、
6度目の入院に関してはほとんど違うもの食べました。。
病院食については完全に気持ちの問題だなあ。
これから先もあそこでごはんは食べたくない…。

関節痛は2クール目から始まりました。
これはしんどかったですね。
一度だけ関節痛の副作用が出る日に、ぎゅうぎゅうの満員電車に耐えた日があったんですが、その時が一番痛みも酷かったように思います。無理は禁物である。
膝と足首の関節が、昼夜問わず、ズキズキ…ズキズキ……じんわりとメンタルを削られていく痛みが続きます。
寝ていても起きていても動いていても痛い。
ロキソニン飲んでも効かないのであまり鎮痛剤も飲まず。
だいたい点滴してから2日後から痛み始めて3日目がピーク、あとは少しずつおさまっていきました。

関節痛と吐き気と食欲ゼロが重なった時はなかなかつらいものがありました。家族はどうにかして何か食べさせようとしてくれるんですが、心の底から今は食べたくない…!食べもののことも考えたくない…!という状態。
心の余裕もないので、家族がそばにいてくれることよりも、ひとりで寝ていることを選び、買い物だけ頼んで、あとはじっと、嵐が過ぎ去るのを待ちました。
イオンウォーターには度々お世話になりました。

あとは手足のしびれ。
手足の末端がしびれるのです。ぴりぴりと。
最初はすぐ治ったんですが、5クール目からは前回の痺れを残したまま次の入院が始まるくらいには長引いてました。わたしの場合は手はすぐおさまりますが、足だけ長引きました。正座直後の、触らないで!てなるほどの痛みではないけどずっとシビシビしている。

一番分かりやすかったのは外見の変化でしょうか。

まずは顔色。
顔色がいつもよりもさらに悪い。
ただでさえ、普段から元気ハツラツ!な見た目ではない私ですが、それがまあ具合悪そうな顔色に仕上がってました。
それも1週間くらいすると割と普通くらいに戻ってたかな。

そして脱毛。
TC療法は脱毛は免れられないらしく、
現在も全身の毛という毛がありませーん。
顔の産毛とかもないからなのか、肌が陶器のよう!
つるつるです。
肌荒れもしなかったな。
生活が落ち着かざるを得なかったためでしょうか、2〜3年前くらいから謎の肌荒れをしていたんですが、それが今はひっそりしています。
お会いする機会のある方は是非すべすべのほっぺたを触ってください笑。

女性の命である髪の毛も、綺麗になくなりました。
髪の毛が抜け始めたときはさすがに落ち込みました。
最初は悲しかったな。
ダチョウのひなみたいだったし。
1日家に引きこもり、抜ける毛を掃除し続けて、もういいや、と思ってシャワーで流しても全然終わりが見えない!ヒィィ…!
抜ける髪の毛が少しずつ減り、
また残っている髪の毛も少しずつ減り。
3クール目くらいから丸坊主な見た目に落ち着いたかな。
それでも少しずつ伸びて貧相なマリモくらいにはなってたような。

そしてこの頃からはいよいよ眉毛も抜け始めました。
4クール目くらいでまつ毛ともサヨナラしました。
すっぴんだと、顔も怖い!
鏡を見るのが、毎日苦痛でした。
自分が自分でなくなってしまうようで、
あんまり人にも会いたくなくて、
人の目がすごーく気になった。

お化粧に関しても、今までは手抜きメイクでサササーッで済ませていたため知識もスキルもなく。
化粧品も全然詳しくないし、何使えばいいのかわかんない!パニック!てなってた時に、眉毛が消えかけてる私を見て、ウィッグ+化粧品セットをくれたひとがいたのです。
優しさとは、心遣いとは、、、と考えさせられました。
すごく嬉しかったし、とてもありがたかった。
何より、使えるものだらけだった…!
付けまつ毛だけは最後まで上達することはなかったけれど、、、笑
まつげはなくても意外と違和感ないんだな、
とポジティブに捉えて気にしないことにしました。

具合が悪い時の写真は一切残したくなくて、頑なに坊主の写真は撮らなかったんですが、お正月に家族と一緒になぜか撮りました。三蔵法師みたいできれいよ(あくまでも家族から見たら、の話です)、とか、頭の形きれいだからかわいいよ、とか、家族は優しさしか与えてくれなかったな。


(※あくまでも、イメージ映像です。)

そして今は寒い季節。
家で何も被ってないと、頭から首が冷えてくる。
なので家でも帽子かぶってました。

ウィッグは結局3種類気分で使い分けてましたが、皆さまが優しく受け入れてくださるので特に何も言われなかったなあ。
書きながら思うけどほんとに周りに恵まれてるのね。
フラットな気持ちでいられたのは周りのおかげだと思う。

あとは自覚症状のない副作用としては骨髄抑制。
白血球が減って体の抵抗力がなくなるやつです。
からだに侵入してくる敵に対してノーガード状態!
インフルなんてもってのほか…!
そんな中で、週に一回病院に行くほうが色々もらってきそうだけどな、とずっと思ってました笑。
幸い治療中、風邪は一度しかひかず、気を抜かずにこのまま元気で乗り切りたい所存であります。
(※とか調子のいいこと考えてたら最後の入院中にまんまと風邪をひきました。つらかった!)
手洗いうがいマスク!を徹底した半年でした。

私の場合、1 クール目で白血球の数値が下がりすぎたので、2クール目以降はその対策にジーラスタ注射をしたこともあり、入院の日程が大きく変わることもなく、順調に進めることができました。
ジーラスタ注射の副作用、最初の頃は腰痛が出たりしましたが、後半は特になかったな。

あとは薬を排出するにあたって、肝臓の負担が大きかったようで、その対策の薬も飲んでました。
これも特に自覚症状はなし、血液検査で判断。

こんなところかな。

あと2週間くらいしたら、最後の抜け毛期間が来て、そこからは春の喜び!といったところでしょうか。
噂によると髪の毛の質がクルクルに変わるらしいのですが、元から癖っ毛の私はどうなってしまうのか。
ストレートになってしまったりして!なんて浮かれたことばかり考えています。
そんなことはないんだろうけど、わくわく。
早く温泉にも行きたいな〜

だらだらとまとめてみましたが、
私の場合はかなり軽めの副作用で済んでいるものと思われます。

2019年を迎えて

2019/01/08

新年を無事に迎えることができました。
私の周りの皆さま、チラッとでも関わっている皆々さまが、この一年を穏やかに過ごせますように。

思い返せば去年はフワフワ波間を漂ってばかりだった私の人生が、突如大波にさらわれ、今までとは違う海域に流れ着いたような、そんな一年でした。

基本的に物事に流され続けるスタイルは変わらず。
根底には負けず嫌いな心があるのかもしれませんが、気分屋&照れ屋なので、分かりやすい闘病メンタル!にはなかなかなれませんでしたね。
私の心に松岡修造氏は住んでくれなかった!

思い返してみると、みなさま私への接し方が上手だなあ、と改めて思いました笑。付かず離れずな距離を保っていてくれてほんとうにありがとう。

食欲がなくなる時も7月の手術が終わってからはほとんどなかったので、おいしいものを食べて、美しいものを眺めて、たまにはお酒も飲んで、調子がいいときは「病気なんて嘘なのでは?」と思うくらい楽しい気持ちになって、その実ふとしたときに不安と悲しさに襲われる。

何か大きな出来事があっても、毎日の営みが大きく変わるわけではないということを実感しました。
病気になる前とは打って変わって健康的な生活をする、ということもなく、今まで通りの日常に病院生活が加わっただけ。

悲しいことがあっても、辛いことがあっても、体調悪い、ご飯なんてとてもじゃないけど食べられない!そんな日があっても、次の日にはお腹が空きました。食いしん坊でよかった笑。

『泣きながらご飯食べたことあるひとは、生きていけます』

という大好きなドラマ、カルテットの台詞に、2年の時を経て今ごろ救われたりして。強烈に好きになるものって、こうやって時間なんて簡単に飛び越えて助けにきてくれる。

紅白のMISIAの圧巻の『つつみ込むように』F年で選んだ曲だなー。とか。(※ちがったかもしれないけど、好きな曲だったから色々と思い出した)
箱根駅伝のCMでBUMP OF CHICKENロストマンが流れてきて、なぜ今更!と思いつつも思わず友だちに連絡を取るくらいには歓喜したり。

好きなものは自分の喜びとなり、喜びは生きる力と支えになってくれるのね、ということも、近頃重なることが多く。

今後も私は私の好きなものを大事に愛でていきたい。

というわけで皆さま、本年もおいしいご飯と素晴らしく楽しい時間の共有にお付き合いくださいませ。なにとぞ。






そして本日から6クール目の入院です。
いよいよこれで終わり(心からそうなってほしい!)でございます。
思えば随分遠くまで来たものだ…なんてついつい感慨深くなってしまいますね。

昨日は入院前日の血液検査だったのですが、次の診察予約の欄が急に埋められておりました。私の病院、基本的に勝手に次の予約がぽんぽんと入れられていることが多く、事後報告で告げられるのが主なんですが、この入院の後に5回くらいまとめて予約入れられててさすがに笑ってしまいました。

2月の頭まで毎週。

これが全て無事に終われば情状酌量の余地あり、執行猶予といったところでしょうか。無罪放免とはいかないのがタチの悪いところですね。

血液検査は手馴れたものなのでいいとして、手術してから初めてCTを撮るのでドキドキ。というよりは、あの結果を聞くまでの数日と、病院の待合室で味わう心許ない不安とは、この先もずっと付き合っていくのだということをね、考えてしまいました。

基本的に嫌なことはすぐに忘れる私ですが、久々にCTの結果聞いた時をどーーーんと、思い出しちゃったりなんかして。

とはいえ、悪いことばかり考えていても、ご飯は決しておいしくはならないので、今まで通り、都合の悪いことはスッキリ忘れて!毎日を過ごそうと思います。


ヨヨナムの和え麺風サラダ。
おいしく作れました。

誕生日

2018/12/23


(先日参加した素敵しかない結婚式と同じビルで開催していたCITIZENインスタレーション。キラッキラ!!)

本日めでたく31歳を迎えました◡̈
日頃気にかけてくださったり、ふとした時に思い出してくださる皆様、ありがとうございます。
5クール目、さすがに関節痛には苦しめられましたが副作用は足の痺れ以外は消え、元気に過ごしています。

昨晩ようやく念願のボヘミアンラプソディーを観てきました。26:30スタート@新宿。ボロボロ泣きながら堪能してまいりました。
映画が終わったのが明け方の5時。普段行かない街の、早朝の景色を眺めながら帰宅するのはなかなかいいものでした。

音楽っていいものだな。
ライブエイドのシーンはもちろんなのですが、その前に家族と一緒に過ごすシーンが、私はたまらなかったです。
家族って、選べないし、物理的に距離を取ることはできるかもしれないけれど、一生途切れることのない縁だと思います。

というわけで、今日は誕生日なので家族の話でも。

私は三姉妹の末っ子で、放蕩娘以外の何者でもなく笑、周りの人すべてに甘やかされて育ちました。父は教会の司祭をしています。穏やかで朗らかで、とにかく優しく、母は怒るとこわいけど、聡明な人だなあと、最近よく思います。

家族というものに今まで特に執着もなく、お正月も2日くらいの滞在で東京に戻ったりしており、高校を卒業してからは家族と過ごす時間というのは、ほぼありませんでした。

今年病気になって、一番支えてくれたのは他の誰でもなく家族でした。(もちろん、友人や職場の方にも支えられていたのですが!)

病気になる前、今年の5月に父方の祖母が亡くなりました。明るく優しくいつも自分のことより人のことばかり気にかけている人で、父は祖母に似たんだなあ、という人柄の祖母でした。

父は長男なのですが、父が生まれる前に2歳くらいで亡くなった姉がいたそうです。祖母はずっと大切に思っていて、私も少し話を聞いたことがありました。(私の一番上の姉が生まれた時、似ている!と言って喜んだそうです◡̈)

お葬式の場で、父が挨拶をする場面がありました。

幼い我が子を亡くす悲しみ。
自分の子どもが生まれてから、それがどれほどにつらい出来事なのかが分かった、という話をしていました。
その話を聞いて、自分たちがどれほど愛されていたのかを知り、家族を大事にしよう!と思っていた矢先に、私が病気になりました。

突然の告知の時に隣にいてくれた母。
怖くて仕方がない時、不安に押しつぶされそうな時、側で支え、励まし、甘やかすだけではなく、年長者としてのアドバイスをくれました。

手術の前日、両親が病室まで来てくれました。
当日、朝から7時間の手術が終わるまでずっと、待っていてくれました。
手術の翌日、起き上がるだけで貧血になった私を、立ち上がることもできない私を、応援してくれました。
退院してから、体力が戻るまで、一緒に過ごしてくれました。

姉2人も、事あるごとに東京まで来てくれて、側にいて、勇気付けてくれました。

何から何まで家族に支えられて、どうにかここまでやってこられたんだなあ、としみじみ実感しています。
病気になって、いいことがあったとは思いたくはありませんが、家族と過ごせる時間が増えて、家族のことを好きになりました。

普段改まって家族に自分の気持ちを話すことはなかなかないので、こっそりここに書いておきます◡̈
でも、小出しに小出しに、伝えていけたらいいな。

家族・友人に共通して言えるのは、一番弱っている自分をさらけ出せる相手というのは、どれほど稀有な存在であるか、ということです。

今思うと、手術の後は自分では元気なつもりでしたがそんなわけはなく笑、気力&体力共にギリギリのラインで、それでも会いに来てくれた人には本当に感謝しています。

この半年で、惜しみなく注いでもらった愛情を、優しさを、この先一生、忘れることはないと思います。
辛かったことも、嬉しかったことも、すべてわたしのもの!覚えておいて、いつでも思い出せるように。いろんな形でいろんなタイミングで、いろんな人に助けてもらったものを、これから先ゆっくりと、お礼として返せますように。

そんな、ありがとうの気持ちに溢れた1日を、今日くらいは過ごそうかと思います◡̈

皆さま、よいクリスマスをお過ごしくださいね。

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けもなれに寄せて

2018/12/13

昨日私の大好きなドラマが終わってしまいました。

獣になれない私たち|日本テレビ

『獣になれない私たち』

ドラマを最初から最後までちゃんと見たのは、
カルテット以来でした。

ガッキーかわいい!
(会社って、仕事って、つらい…)
松田龍平は相変わらずかっこよかった。足長いなあ。
そしてビール!美味しそうだった!!
挿入歌も韓流ドラマっぽくてよかった笑。
田中圭は安定のかませ犬だったけれど・・・

ドラマの中では5tapというクラフトビールのお店が、
ガッキーたちの心のオアシス?として描かれており、
そういう場所が私にもあるので
余計に共感&応援して見ていたのかもしれません。
私の場合はそこで知り合った人と付き合って、
結局サラッと別れてしまいました。
病気のことが完全に終わらない間にフラれ、
ある程度の時間を経て、
周りの人たちの言葉や優しさを浴び、色々な感情を経て、
今は、よい思い出として姿を変えてくれました。
私にとっては決していい思い出ばかりではありません笑。
ですが、これからも元気でいてほしいな、
と思えるまでに昇華しました。羽化!

病気を含めて、どれだけ悲しいことがあっても、
様々な形で助けになってくれる人がたくさんいることは素直にありがたかったし嬉しかったです。
直接じゃなくても、音楽でも、漫画でも、私は確かに救われていたと思っています。

『けもなれ』の場合では。
何より呉羽さん(菊地凜子)にわたしは救われました。
正確に言えば呉羽さんの旦那のたっちん(ずんの飯尾笑)か…笑

ドラマの中で呉羽さんは自由奔放なキャラクターだったんですが、とことん自分に正直で、多少の迷惑を周りにかけても、どこか彼女ならば仕方ないと許されてしまうような、そんなとてもチャーミングな女性でした。

婦人科の手術をして、子どもが産めなくなった呉羽さん。そんな呉羽さんを普通に受け止め、(頭の中に教会の鐘の音が鳴り響き笑、)プロポーズも受けるたっちんと、お互いを大切に思う2人の姿に私も救われました。

こうやって、ドラマを見るとか、世間や社会の大きな事件に比べればなんということもない些細な出来事でも、思わぬところでひとのこころは救われるものなのだなあとしみじみ。

そういえば、手術を受けた半年前、私を支えてくれていたのはこの曲でした。

星野源 - アイデア【Music Video】/ Gen Hoshino - IDEA - YouTube

手術直後、ひたすらに聴いていたのが、
星野源の『アイデア』。
曲としては変な?不思議な構成だけど、
色々あった今年を振り返りながら聴くと、
人生は意外とそんなものよね、なんて思ったりもします。
嬉しい気持ちも悲しい気持ちも私のもの。
それまでも、そのあとも、終わる日までは続いていく日々なのだから、昨日と今日が大きく変わってもいいし、変わらない日々もまた素敵だと思います。
今日も萎れずにいられるのも、
萎れてもそのうち忘れて立ち直れていられるのも、
周りにいる人たちのおかげでもあり、
この曲のおかげでもあるのです◡̈

そんなわけで、
けもなれは終わってしまいましたが、
いつどこで私の頭の中で鐘がなるのかは、
これからのお楽しみということにして、
日々とぎゅっとハグしながら付き合っていけたらな、
なんてことを考えています。
というわけで、
昨日から5クール目の抗がん剤入院スタートです。
いよいよあと2回!
無事に終わりますように。



(治療が終わったら、これを飲みたい♡)