2019年を迎えて

2019/01/08

新年を無事に迎えることができました。
私の周りの皆さま、チラッとでも関わっている皆々さまが、この一年を穏やかに過ごせますように。

思い返せば去年はフワフワ波間を漂ってばかりだった私の人生が、突如大波にさらわれ、今までとは違う海域に流れ着いたような、そんな一年でした。

基本的に物事に流され続けるスタイルは変わらず。
根底には負けず嫌いな心があるのかもしれませんが、気分屋&照れ屋なので、分かりやすい闘病メンタル!にはなかなかなれませんでしたね。
私の心に松岡修造氏は住んでくれなかった!

思い返してみると、みなさま私への接し方が上手だなあ、と改めて思いました笑。付かず離れずな距離を保っていてくれてほんとうにありがとう。

食欲がなくなる時も7月の手術が終わってからはほとんどなかったので、おいしいものを食べて、美しいものを眺めて、たまにはお酒も飲んで、調子がいいときは「病気なんて嘘なのでは?」と思うくらい楽しい気持ちになって、その実ふとしたときに不安と悲しさに襲われる。

何か大きな出来事があっても、毎日の営みが大きく変わるわけではないということを実感しました。
病気になる前とは打って変わって健康的な生活をする、ということもなく、今まで通りの日常に病院生活が加わっただけ。

悲しいことがあっても、辛いことがあっても、体調悪い、ご飯なんてとてもじゃないけど食べられない!そんな日があっても、次の日にはお腹が空きました。食いしん坊でよかった笑。

『泣きながらご飯食べたことあるひとは、生きていけます』

という大好きなドラマ、カルテットの台詞に、2年の時を経て今ごろ救われたりして。強烈に好きになるものって、こうやって時間なんて簡単に飛び越えて助けにきてくれる。

紅白のMISIAの圧巻の『つつみ込むように』F年で選んだ曲だなー。とか。(※ちがったかもしれないけど、好きな曲だったから色々と思い出した)
箱根駅伝のCMでBUMP OF CHICKENロストマンが流れてきて、なぜ今更!と思いつつも思わず友だちに連絡を取るくらいには歓喜したり。

好きなものは自分の喜びとなり、喜びは生きる力と支えになってくれるのね、ということも、近頃重なることが多く。

今後も私は私の好きなものを大事に愛でていきたい。

というわけで皆さま、本年もおいしいご飯と素晴らしく楽しい時間の共有にお付き合いくださいませ。なにとぞ。






そして本日から6クール目の入院です。
いよいよこれで終わり(心からそうなってほしい!)でございます。
思えば随分遠くまで来たものだ…なんてついつい感慨深くなってしまいますね。

昨日は入院前日の血液検査だったのですが、次の診察予約の欄が急に埋められておりました。私の病院、基本的に勝手に次の予約がぽんぽんと入れられていることが多く、事後報告で告げられるのが主なんですが、この入院の後に5回くらいまとめて予約入れられててさすがに笑ってしまいました。

2月の頭まで毎週。

これが全て無事に終われば情状酌量の余地あり、執行猶予といったところでしょうか。無罪放免とはいかないのがタチの悪いところですね。

血液検査は手馴れたものなのでいいとして、手術してから初めてCTを撮るのでドキドキ。というよりは、あの結果を聞くまでの数日と、病院の待合室で味わう心許ない不安とは、この先もずっと付き合っていくのだということをね、考えてしまいました。

基本的に嫌なことはすぐに忘れる私ですが、久々にCTの結果聞いた時をどーーーんと、思い出しちゃったりなんかして。

とはいえ、悪いことばかり考えていても、ご飯は決しておいしくはならないので、今まで通り、都合の悪いことはスッキリ忘れて!毎日を過ごそうと思います。


ヨヨナムの和え麺風サラダ。
おいしく作れました。

誕生日

2018/12/23


(先日参加した素敵しかない結婚式と同じビルで開催していたCITIZENインスタレーション。キラッキラ!!)

本日めでたく31歳を迎えました◡̈
日頃気にかけてくださったり、ふとした時に思い出してくださる皆様、ありがとうございます。
5クール目、さすがに関節痛には苦しめられましたが副作用は足の痺れ以外は消え、元気に過ごしています。

昨晩ようやく念願のボヘミアンラプソディーを観てきました。26:30スタート@新宿。ボロボロ泣きながら堪能してまいりました。
映画が終わったのが明け方の5時。普段行かない街の、早朝の景色を眺めながら帰宅するのはなかなかいいものでした。

音楽っていいものだな。
ライブエイドのシーンはもちろんなのですが、その前に家族と一緒に過ごすシーンが、私はたまらなかったです。
家族って、選べないし、物理的に距離を取ることはできるかもしれないけれど、一生途切れることのない縁だと思います。

というわけで、今日は誕生日なので家族の話でも。

私は三姉妹の末っ子で、放蕩娘以外の何者でもなく笑、周りの人すべてに甘やかされて育ちました。父は教会の司祭をしています。穏やかで朗らかで、とにかく優しく、母は怒るとこわいけど、聡明な人だなあと、最近よく思います。

家族というものに今まで特に執着もなく、お正月も2日くらいの滞在で東京に戻ったりしており、高校を卒業してからは家族と過ごす時間というのは、ほぼありませんでした。

今年病気になって、一番支えてくれたのは他の誰でもなく家族でした。(もちろん、友人や職場の方にも支えられていたのですが!)

病気になる前、今年の5月に父方の祖母が亡くなりました。明るく優しくいつも自分のことより人のことばかり気にかけている人で、父は祖母に似たんだなあ、という人柄の祖母でした。

父は長男なのですが、父が生まれる前に2歳くらいで亡くなった姉がいたそうです。祖母はずっと大切に思っていて、私も少し話を聞いたことがありました。(私の一番上の姉が生まれた時、似ている!と言って喜んだそうです◡̈)

お葬式の場で、父が挨拶をする場面がありました。

幼い我が子を亡くす悲しみ。
自分の子どもが生まれてから、それがどれほどにつらい出来事なのかが分かった、という話をしていました。
その話を聞いて、自分たちがどれほど愛されていたのかを知り、家族を大事にしよう!と思っていた矢先に、私が病気になりました。

突然の告知の時に隣にいてくれた母。
怖くて仕方がない時、不安に押しつぶされそうな時、側で支え、励まし、甘やかすだけではなく、年長者としてのアドバイスをくれました。

手術の前日、両親が病室まで来てくれました。
当日、朝から7時間の手術が終わるまでずっと、待っていてくれました。
手術の翌日、起き上がるだけで貧血になった私を、立ち上がることもできない私を、応援してくれました。
退院してから、体力が戻るまで、一緒に過ごしてくれました。

姉2人も、事あるごとに東京まで来てくれて、側にいて、勇気付けてくれました。

何から何まで家族に支えられて、どうにかここまでやってこられたんだなあ、としみじみ実感しています。
病気になって、いいことがあったとは思いたくはありませんが、家族と過ごせる時間が増えて、家族のことを好きになりました。

普段改まって家族に自分の気持ちを話すことはなかなかないので、こっそりここに書いておきます◡̈
でも、小出しに小出しに、伝えていけたらいいな。

家族・友人に共通して言えるのは、一番弱っている自分をさらけ出せる相手というのは、どれほど稀有な存在であるか、ということです。

今思うと、手術の後は自分では元気なつもりでしたがそんなわけはなく笑、気力&体力共にギリギリのラインで、それでも会いに来てくれた人には本当に感謝しています。

この半年で、惜しみなく注いでもらった愛情を、優しさを、この先一生、忘れることはないと思います。
辛かったことも、嬉しかったことも、すべてわたしのもの!覚えておいて、いつでも思い出せるように。いろんな形でいろんなタイミングで、いろんな人に助けてもらったものを、これから先ゆっくりと、お礼として返せますように。

そんな、ありがとうの気持ちに溢れた1日を、今日くらいは過ごそうかと思います◡̈

皆さま、よいクリスマスをお過ごしくださいね。

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けもなれに寄せて

2018/12/13

昨日私の大好きなドラマが終わってしまいました。

獣になれない私たち|日本テレビ

『獣になれない私たち』

ドラマを最初から最後までちゃんと見たのは、
カルテット以来でした。

ガッキーかわいい!
(会社って、仕事って、つらい…)
松田龍平は相変わらずかっこよかった。足長いなあ。
そしてビール!美味しそうだった!!
挿入歌も韓流ドラマっぽくてよかった笑。
田中圭は安定のかませ犬だったけれど・・・

ドラマの中では5tapというクラフトビールのお店が、
ガッキーたちの心のオアシス?として描かれており、
そういう場所が私にもあるので
余計に共感&応援して見ていたのかもしれません。
私の場合はそこで知り合った人と付き合って、
結局サラッと別れてしまいました。
病気のことが完全に終わらない間にフラれ、
ある程度の時間を経て、
周りの人たちの言葉や優しさを浴び、色々な感情を経て、
今は、よい思い出として姿を変えてくれました。
私にとっては決していい思い出ばかりではありません笑。
ですが、これからも元気でいてほしいな、
と思えるまでに昇華しました。羽化!

病気を含めて、どれだけ悲しいことがあっても、
様々な形で助けになってくれる人がたくさんいることは素直にありがたかったし嬉しかったです。
直接じゃなくても、音楽でも、漫画でも、私は確かに救われていたと思っています。

『けもなれ』の場合では。
何より呉羽さん(菊地凜子)にわたしは救われました。
正確に言えば呉羽さんの旦那のたっちん(ずんの飯尾笑)か…笑

ドラマの中で呉羽さんは自由奔放なキャラクターだったんですが、とことん自分に正直で、多少の迷惑を周りにかけても、どこか彼女ならば仕方ないと許されてしまうような、そんなとてもチャーミングな女性でした。

婦人科の手術をして、子どもが産めなくなった呉羽さん。そんな呉羽さんを普通に受け止め、(頭の中に教会の鐘の音が鳴り響き笑、)プロポーズも受けるたっちんと、お互いを大切に思う2人の姿に私も救われました。

こうやって、ドラマを見るとか、世間や社会の大きな事件に比べればなんということもない些細な出来事でも、思わぬところでひとのこころは救われるものなのだなあとしみじみ。

そういえば、手術を受けた半年前、私を支えてくれていたのはこの曲でした。

星野源 - アイデア【Music Video】/ Gen Hoshino - IDEA - YouTube

手術直後、ひたすらに聴いていたのが、
星野源の『アイデア』。
曲としては変な?不思議な構成だけど、
色々あった今年を振り返りながら聴くと、
人生は意外とそんなものよね、なんて思ったりもします。
嬉しい気持ちも悲しい気持ちも私のもの。
それまでも、そのあとも、終わる日までは続いていく日々なのだから、昨日と今日が大きく変わってもいいし、変わらない日々もまた素敵だと思います。
今日も萎れずにいられるのも、
萎れてもそのうち忘れて立ち直れていられるのも、
周りにいる人たちのおかげでもあり、
この曲のおかげでもあるのです◡̈

そんなわけで、
けもなれは終わってしまいましたが、
いつどこで私の頭の中で鐘がなるのかは、
これからのお楽しみということにして、
日々とぎゅっとハグしながら付き合っていけたらな、
なんてことを考えています。
というわけで、
昨日から5クール目の抗がん剤入院スタートです。
いよいよあと2回!
無事に終わりますように。



(治療が終わったら、これを飲みたい♡)

抗がん剤3クール目&4クール目

2018/12/04

気がつけば12月。
11月末に4度目の入院をし、
抗がん剤治療も残すところあと2回となりました。

手術から半年。
あっという間だったような、随分と長かったような気もしますが、ようやく終わりが見えてきたので、ほっとしています。

3クール目も4クール目も副作用はだいたい同じ、1週間くらいは顔色も悪い&体調もよくない&どんより。その期間は食欲もなくなってきたかなあ。
でも、あとの3週間は割と元気に過ごしております。

あと2回なので頑張ろー◡̈


(美しかった東山魁夷展)

さめざめと

2018/10/24

血液検査をしに、毎週のように病院に通っています。

ジーラスタ注射の甲斐あり、1クール目ほどは血液検査の数値に大きな変動はなく、今日無事に3クール目の投与です。1クール目に比べると順調とはいえ、1クール目は白血球の数が減りすぎて何度も入院できなかった実績を作ってしまった私は、今回からは前日に検査して、数値をクリアすれば次の日から入院、という形になりました。2クール目は風邪をひいたこともあり、これから寒くなるので本当に気をつけてくださいね、と薬剤師さんからご指導いただきました。

病気が分かってから早いものでもう4ヶ月。
落ち込まないわけはないのですが周りの優しさにつけこみながら笑、大いに甘えつつ、当初のパニック状態を思い返すと、ずいぶん落ち着いてきたように思います。
副作用も抜けて体調のよい期間などは、まだ病人だということを自分でも忘れてしまう時もあるほど。

でもやっぱり、ふとした時に感情の波がやってくるようで。

病院の採血検査というのは結果が出るまでに時間がかかるので、診察より1時間ほど早めに病院に行きます。いつも診察の時間よりかなり早めに行って、採血をしてから病院の外のベンチでコーヒーでも飲みながら結果が出るのを待つことにしています。

先日は、そのベンチに先客が。
秋晴れの爽やかな空の下、新生児を大事そうに抱えた若いご夫婦。パパがしっかり抱きしめて離さない!退院したばかりなのかしら、自撮りなんてしながら、すごーく大事そうに、赤子を宝物のように慈しんでいて、それはもうキラキラと輝いておりました。その光景を目にした私は、あら、素敵だわね、などと思ったのも束の間、気がついたらボロボロ泣いておりました。

この4ヶ月、目の前のことしか見えませんでしたし、考えられなかったので、病気が治った先のことを考える余裕はなかったのですが、もし治ったとしても、私はあの光景に入ることはできないんだわ、と、考えた結果急に悲しくなってしまったのだと思われます。

かと言って、子どもはすごく可愛いので、子どもをもつ人に羨ましさはあっても妬み&恨みなどは決してなく、ただ単純に、自分には訪れない未来があるんだなあ、と考えた時に、すごく大事な人ができたとしても、その人にあんな笑顔にはさせてあげられないのよねー。
と、ふと考えてしまったのです。

結婚式の弾けるような笑顔も素敵ですが、子どもを慈しむ親の柔らかな表情も、とても素敵だなあ、と最近よく思います。歳を重ねて、周りが親になることが増えてきたからか、余計にそう思うのかもしれない。

というわけで、一見病院で泣いているヤバイ人だったのですが、これは先のことを考える余裕がでてきた、ということで、私がこの先の未来も健やかな気持ちでいるために必要な段階なのかしらね…

なんてことを考えながら、いつものようにサクッと診察を終えて入院の手続きをしていたところ、事務の方から手酷い仕打ちを受けました。

私、基本的に今通っている病院の事務手続きもろもろに対していいイメージがほとんどないのですが、ついに、もうこれは無理かも、と思う一件が。。。

何度目かの入院手続きです。こちらとしても手馴れたもので3分くらいで毎回終わるものなのですが。

この間まで研修中のバッジが付いていた人に対応してもらったので、なんだかモタモタしていたけれど、最初は誰だって新人だしな、とにこやかに対応しておりました。

まずはジャブ。最初に入院した7月にはとっくに手続きを済ませてある、高額療養費申請の案内をされました。まあそこまではいいとしよう。

次に、「じゃあこちらの手続きもお済みかしらね」と渡されたのが、出産一時金の書類でした。

えー!私、子ども産みたくても産めないのになー。

さっきまでそのことで改めて絶望していたというのに、その日のうちに傷口に塩、塗りたくられました。
まさか病院の窓口でざっくり言葉のナイフで刺されるとは思ってもみなかった笑。

ちなみに、普段、私の事情を全く知らない人に、「あなた結婚はまだなの?若いんだから早くしなさいね」とか、「子供はいいよ、だから結婚(出産)はオススメだよ」というアドバイスをされて、不快な気持ちになるわけでも悲しい気持ちになるわけでもありません。私もそう思ってます。

でも、ここは病院で、私はさっき診察を終えたばかりで、3ヶ月前に子宮と卵巣を取る大きな手術をして、まだあと3回も抗がん剤治療が残っていて、この先一生自分の子どもは産めないし、再発しないように願って生きていくんだよー、、、という短いようで長いこの4ヶ月の膨大な情報が突風のように頭の中をぐるぐるとした結果、、、その場では何も言えませんでした。

口が達者だったらクレーマーになれたんだけどなー笑。

反論する気力も失くなり、そこから先は能面モードで対応。婦人科の入院だとそういう説明をしないといけないのかな、とか、色々と思うところはあったんですが、今までそんな説明されたことはないし、なぜ病人が病院で気を遣わにゃならんのか!

自分の仕事に置き換えて考えると、やっぱりマニュアル対応なんてクソ喰らえ!だということですかね。
人には人の事情があるのですから、すべてを慮ることができないとしても、相手の事情についてその都度冷静に考えることはいつだって必要なのだわ、と思い知らされた1日でした。

こういうことを書くと、私の周りにいる人たちは気を遣ってしまいそうで嫌なのですが、常時このようなことを考えているわけではなく、むしろ幸せはこれからもどうぞたくさんわたしにも分けてほしいし、私の周りのひとの幸せは、心の底からすごく嬉しい!あと子どもは可愛いし、一緒に遊ぶのも楽しい♡

これからも、おいしいものでも食べながら、日々、ゆっくり、しっかりと!治していきたいです。もう結構頑張ってる気がするけど笑、のんびり、無理せず、今だけは自分のことだけ考えて頑張ろうね、と自分をいたわっています◡̈


友人に誘われお邪魔したレストラン。
https://secreto-tokyo.com
きのこのポタージュ。滋味深い味わい!
華やかカラフルなお料理より、こういう素朴なお料理が好きです♡

抗がん剤2クール目副作用まとめ

2018/10/22

2クール目の投与から4週間。
1クール目、ほぼ副作用がなかったので、2回目も軽めだろうなと思ってましたが、期待してたほど軽く済まなかったです。

本当に体質によるんだなあ、と思いますが、わたしの場合は吐き気がほとんどありません。抗がん剤の副作用=ずっと吐いてるイメージがありましたが、ほぼ吐き気ゼロだったので、基本的に毎日おいしくごはんを食べています◡̈

むしろ、当日や翌日は、空腹時に胃がムカムカするので食べすぎになるくらい。これは困った。

味覚障害も、今の所はないですね。

手足の指先のしびれはありました。
でも痛みがないからまだ大丈夫かな。

関節痛が3日目から始まったことと、
ジーラスタ注射の副作用で注射後4日ほど経過してから腰の骨の痛みがありましたが。
どちらの痛みも常時ではないので、まだ耐えられるかなあ。でも、ロキソニン飲みましたがあまり効かず、両方微熱が続いて体がとにかくしんどかった!

10日ほどすると副作用はおさまるようなので、あと4回もこの程度で済むことを祈りながら◡̈
明日から3クール目、です!

黒柳徹子さん

2018/10/16

黒柳徹子さんのお芝居を観る機会がありました。

初めての生・徹子!

ライオンのあとで | PARCO STAGE

ライフワークとして続けてきた海外コメディシリーズのファイナル公演、ということでした。
2時間近くあるお芝居なので、観始めるまでは正直なところ、徹子さん大丈夫なのかしら、と思っていたのです。
たまにテレビでチラッと見かける限りでは、寄る年波には勝てないと言いますか、もう85歳だそうですし、いくら元気といっても限度があるかな、と思っていたのです。

上演中、年齢を感じる場面は確かに度々ありました。
でも、何かを一生懸命に追い続けたプロの姿勢というものを、まざまざと見せつけられたように思います。
そして、最後の最後まで鳴り止まぬ拍手に応じて、終わることのないカーテンコール。誰からも愛されるステキなチャーミングさと、すべてのものに対する大きな愛を感じました。

片足を切断してまで舞台に立ったというサラ・ベルナールと、そんな彼女を演じる、85歳で主演舞台に立つ徹子さんの姿がいつの間にか重なっていたように思います。

お芝居の最中、片足を切断した晩年のサラ・ベルナールの演出上、徹子さんも車椅子などに座っていることが殆どだったのですが、最後の最後に、すくっと立ち上がって朗々と台詞を話すシーンがあり、思わず、ぐっときてしまいました。

いいもの見た。